宗教法人 東光寺

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東光寺の歴史
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東光寺の歴史

東光寺の歴史をご紹介致します。お近くへお越しの際は、どうぞお気軽にお立ちよりくださいませ。

三浦富士大権現 七寶山 東光寺略縁起

当山縁起によれば今より1200余年前、
第45代聖武天皇の天平年間に救世の聖者・行基菩薩が諸国行脚の際、
当郷に来臨し休息せられた際、当地に草庵を結び、生済度のために地蔵尊像を造立した。

ある夜、老翁が行基菩薩の夢にあらわれ三浦富士より来たことを伝え、
さらに「汝、速やかに当山において薬師如来の尊身を彫刻したてまつり、
一切衆生をして身心安楽なることを得せしめん。」と告げた。

行基菩薩は愕然として寝床をたち、ただちに三浦富士に登り、石室をひらき神を祭った。
そのさまはまさに神があるようであったという。
その後草庵に戻り、夢告の通り薬師如来像ならびに日光・月光両菩薩、12神将を彫刻奉安し、一宇を建立した。

浄土は七宝をもって荘厳するゆえ七宝山と号し、薬師東方瑠璃光世界を照らすゆえ東光寺と称し、
さらに三浦富士権現の夢告によるがゆえ三浦富士大権現と称する。

しかしながら開山以降風雨を重ね堂宇は荒廃してしまい、
時の住持・上野阿闍梨はこの廃絶を悲しんでいたところ、三浦の庄司、平義継の二男、津久次郎井義行公、
当郷に居し当山を治国理民の祈祷所と定められ中興した。

その威光は三浦全郷に聞こえたという。
その後、明治維新の神仏分離令や戦後の農地開放などの法難に遭遇し著しく規模を縮小していたところ
当山54世大門僧正入山後、大規模な墓地の拡幅を行い多くの壇信徒とご縁をいただき現在に至っている。
  • 三浦富士大権現 七寶山 東光寺略縁起
  • 三浦富士大権現 七寶山 東光寺略縁起
  • 三浦富士大権現 七寶山 東光寺略縁起

津久井次郎義行公(つくいじろうよしゆきこう)

  • 津久井次郎義行公(つくいじろうよしゆきこう)

    三浦半島一帯を治めた、三浦一族。

    その頭領三浦大介義明の弟、津久井次郎義行公の碑と
    一族の五輪塔が東光寺にある。

    三浦氏の多くはその所領の地名を取り、苗字としており、
    義行公は、この津久井の地名をとり、津久井氏と称した。
    津久井(横須賀市)は津久井氏発祥の地でもある。

    津久井城は、当寺の向いの峰屋敷と呼ぶ小山で、
    高行-義道-高重と相伝され、承久の乱で京側にくみし滅びた。

    当寺はその津久井義行公の祈願所として中興されたと縁起にある。

津久井次郎義行公碑(つくいじろうよしゆきこうひ)

  • 津久井次郎義行公碑(つくいじろうよしゆきこうひ)

    門前には大正11年6月に建立された津久井義行公の碑がたつ。

    当山第52世・中島佛山師代に津久井氏墓所の修復した
    記念にたてられたもので、碑の裏面には義行公墓の
    由来と施主の名前が彫られている。

    平成22年現在地へ移動(協力:石平石材店)