
ご祈祷・水子供養・人形供養は、横須賀 真言宗 東光寺へ

もともとは東光寺薬師堂の本尊であったが、関東大震災にて
本堂が被災したため 薬師堂を移築し仮本堂としてあらためた際に
本堂本尊として遷座された。三浦富士の本地仏でもある。
【ご真言】
おん ばいせいぜい ばいせいぜい ばいせいじゃ
さんぼりぎゃてい そわか
おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
南無三浦富士大権現(なむみうらふじだいごんげん)
【仏像】
伝 行基作 (室町時代前期頃の作と推定される)
頭髪部はいわゆる清涼寺様式釈迦如来と同じ縄目
状の髪を表す。 これは生身の如来をあらわしている。
左手に薬壷を持ち、右手は施無畏の印を結び結跏趺坐する。
寄木造 像高 67.6cm

日光菩薩(にっこうぼさつ)
薬師如来の脇侍 日中の守護を司る
【ご真言】
おん ろぼにゅた そわか
【仏像】
寄木造 像高:65.8cm

月光菩薩(がっこうぼさつ)
薬師如来の脇侍 夜間の守護を司る
【ご真言】
おん せんだらはらばや そわか
【仏像】
寄木造 像高:65.2cm



迷える衆生を導く慈悲の菩薩・子供の守護尊
行基菩薩来郷のおり、薬師如来に先立ち彫刻されたとされる。
本来は東光寺本堂の本尊であるが、関東大震災後、
仮本堂左脇へ移動。左右にセイタカ・コンガラの2童子あり。
現在は毎年8月24日に行なわれる地蔵盆の本尊様。
一伝に延命地蔵とも
【ご真言】
おん かかか びさんまえい そわか
【仏像】
享保3年(1719年)再興の記録あり。室町時代頃の作と推定される。
寄木造 像高64.3cm

真言宗の教主。当尊は智拳印を結ぶ金剛界大日如来である。
【ご真言】
おん ばざら だと ばん
【仏像】
底面に寛文9年(1669年) 施主 意月壽慶の名がある。
寄木造 像高52.5cm

往時は長日の護摩が営まれていた尊像である。
現在は秘仏にて毎月28日のみ開扉している。
【ご真言】
のうまく さまんた ばざら だん かん(一字呪)
【仏像】
享保15年(1730)建立の記録がある。
左右にセイタカ・コンガラの二童子を配した
威風堂々、凛とした顔立ちの立像である。

別名、庚申さまとも。庚申待ちの本尊と思われる。
この地域では多くの庚申塚がまつられており、
現在でも庚申講が残っているが木造の作例は珍しいのでは。
秘仏にて庚申の日のみ開扉。
【ご真言】
おん でいば やきしゃ ばんだばんだ かかかか そわか
【仏像】
底面に享保15年(1730)の記録がある。
厨子の中に納められているので彩色がよく残っている。

6観音のひとつ。
真言宗の法流である小野六流では加行(伝法灌頂をうけるための修行)
の本尊とされるため、造像されたものか。
【ご真言】
おん はんどめい しんだまに じんばら うん
【仏像】
享保元年(1716)再興の記録がある。

6観音のひとつ。
詳しい由来は不明。
【ご真言】
大悲心陀羅尼
おん ばざら だらま きりく
【仏像】
享保四年(1719)再興の記録がある。

現在の浅間神社に合祀された八坂神社のご神体。
八坂神社(祇園)の祭神は牛頭天王(ごずてんのう)で
その本地仏は薬師如来とされた。
『相模国風土記稿』に「牛頭天王社本尊薬師は東光寺に置けり」とある像。
秘仏。
【ご真言】
南無祇園本地薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【仏像】
一木造。像高15.4cm 鎌倉時代作か

金剛力士(こんごうりきし)、二王(におう)とも。仏法を守護する守護神。
この二体の金剛力士像は明治の始め頃、裁判費用捻出のため
横浜鶴見の総持寺に売りにだされたことがある。
海外へ転売のため3度港へ運ばれたがそのたびに海が荒れたため
転売できず総持寺に残されていたものを先々代大門和上が発見し、
東光寺へと無事戻ったといういきさつがある。
昔は夜になると海岸までその瞳の輝きが見えたという。
霊験あらたかなご尊像である。
【ご真言】
南無金剛力士(なむこんごうりきし)
【仏像】
延享4年(1747年)造立の銘がある。
鋳造されたもので木像ではない。