東光寺の歴史

東光寺略縁起

東光寺の歴史

当山略縁起によれば1,200余年前、行基菩薩が諸国行脚の際、当郷にて草庵を結び、生きている全てのものを救うために地蔵菩薩像を造られた。

そんなある夜、老翁(三浦富士の神様の化身)が行基菩薩の夢に現れ、全ての生命あるものの安楽のために薬師如来の像を刻むよう告げた。

行基菩薩は、目が覚めるとすぐに三浦富士に登り、夢に見た神様を祀った。

その後、草庵に戻り夢のお告げの通りに薬師如来と日光・月光菩薩、12神将の像を彫刻し、お寺を建てた。

薬師如来のお住みになるお浄土は七宝で飾られているので七宝山(しっぽうざん)といい、浄土は東の方角にあり、名前を瑠璃光世界というので東光寺と名付けた。

さらに、三浦富士の神様のお告げによるので三浦富士大権現(みうらふじだいごんげん)というようになった。

東光寺の歴史

しかしながら、開山以降風雨を重ね堂宇は荒廃してしまい、時の住持・上野阿闍梨はこの廃絶を悲しんでいたところ、三浦の庄司、平義継の二男、津久井次郎義行公、当郷に居し当山を治国理民の祈祷所と定められ中興した。その威光は三浦全郷に聞こえたという。

その後、明治維新の神仏分離令や戦後の農地開放などの法難に遭遇し、著しく規模を縮小していたところ、当山54世大門僧正入山後、大規模な墓地の拡幅を行い多くの壇信徒とご縁をいただき現在に至っている。

津久井次郎義行公(つくいじろうよしゆきこう)

三浦半島一帯を治めた、三浦一族。

東光寺には、その統領三浦大介義明の弟、津久井次郎義行公の碑と一族の五輪塔がある。

三浦氏の多くはその所領の地名を取り、苗字としており、義行公は、この津久井の地名をとり、津久井氏と称した。

津久井(横須賀市)は津久井氏発祥の地でもある。

津久井城は、当寺の向いの峰屋敷と呼ぶ小山で、高行-義道-高重と相伝され、承久の乱で京側にくみし滅びた。

当山はその津久井義行公の祈願所として中興されたと縁起にある。

津久井次郎義行公碑

津久井次郎義行公碑

門前には大正11年6月に建立された津久井義行公の碑がたつ。

当山第52世・中島佛山師代に津久井氏墓所の修復をした記念にたてられたもの。

碑の裏面には義行公墓所の由来と施主の名前が彫られている。

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(協力:石平石材店)

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